私(Emi)とオーストラリアとのかかわりを、お話したいと思います。
東京の大学を卒業し、東京で就職、都会の一人暮らしに疲れ、
失恋なども重なり、人生のリセットを考えていた時でした。
「どうせ浜松に帰るなら、新しく就職する前に、なにか今しかできないことをやっておきたい!」
一生に一度は海外に住んでみたいと思っていたこともあり、
オーストラリアへワーキングホリデーへ旅立つことに決めました。
今から7年前、2001年5月、ちょうど誕生日の3日前に、
オーストラリア、ケアンズに一人ぼっちで着いたのです。
通常(当時は)たいてい留学やワーキングホリデーの斡旋会社に
ホームステイ先や語学学校などを手配してもらい、行く人が多いのですが、
「余計なお金は払えない! 一人でなんとかなるでしょ」
と、お得意の
何とかなる精神で、最初の2泊をインターネットで予約しただけで、
ケアンズ空港に着いたのでした。
空港には無事着きましたが、それからどうするの??
一緒に着いた人たち(ワーホリ君たち)は斡旋会社のピックアップがお待ちかね。
なんの不自由もなく、一瞬でその場から消え去りました。
取り残された私・・・
「そうだタクシー!」
タクシー乗り場に大きなスーツケースを引き下げて向かう。
タクシーの運ちゃん達、たむろってる。
しかも、
全員見事に腕にタトゥー
その中でもひときわ怖そうな運ちゃんに送られ、一泊80ドルのリゾートホテル無事着。
一人でタウンに出かけるも、後ろから誰かがついてきているような気がしてならない。
怖くて怖くて、その日はすぐにホテルに引き返す。
次の日、意を決してタウンにあるジャパレスに向かう。
そこに日本人のワーホリ君たちがたむろっていて。
話しているうち、
「一泊80ドルのリゾートホテルなんかに住んでいたら、即お金が底をつき、帰国だよ。」
と一週間80ドルの相部屋宿(Back Packers Hostel 略してバッパー)を紹介してもらう。
その後、約一ヶ月そのバッパーにお世話になったのでした。
その当時の英語力?
自分の気持ちを伝えられない。
バスの予約もできない程度でした。