人生を変えた決断!?

Red Kangaroo English

2008年08月27日 16:29

私(Emi)とオーストラリアとのかかわりを、お話したいと思います。

東京の大学を卒業し、東京で就職、都会の一人暮らしに疲れ、
失恋なども重なり、人生のリセットを考えていた時でした。
「どうせ浜松に帰るなら、新しく就職する前に、なにか今しかできないことをやっておきたい!」
一生に一度は海外に住んでみたいと思っていたこともあり、
オーストラリアへワーキングホリデーへ旅立つことに決めました。

今から7年前、2001年5月、ちょうど誕生日の3日前に、
オーストラリア、ケアンズに一人ぼっちで着いたのです。

通常(当時は)たいてい留学やワーキングホリデーの斡旋会社に
ホームステイ先や語学学校などを手配してもらい、行く人が多いのですが、

「余計なお金は払えない! 一人でなんとかなるでしょ」

と、お得意の何とかなる精神で、最初の2泊をインターネットで予約しただけで、
ケアンズ空港に着いたのでした。


空港には無事着きましたが、それからどうするの??
一緒に着いた人たち(ワーホリ君たち)は斡旋会社のピックアップがお待ちかね。
なんの不自由もなく、一瞬でその場から消え去りました。

取り残された私・・・
「そうだタクシー!」

タクシー乗り場に大きなスーツケースを引き下げて向かう。

タクシーの運ちゃん達、たむろってる。
しかも、全員見事に腕にタトゥー
その中でもひときわ怖そうな運ちゃんに送られ、一泊80ドルのリゾートホテル無事着。

一人でタウンに出かけるも、後ろから誰かがついてきているような気がしてならない。
怖くて怖くて、その日はすぐにホテルに引き返す。

次の日、意を決してタウンにあるジャパレスに向かう。
そこに日本人のワーホリ君たちがたむろっていて。
話しているうち、
「一泊80ドルのリゾートホテルなんかに住んでいたら、即お金が底をつき、帰国だよ。」
と一週間80ドルの相部屋宿(Back Packers Hostel 略してバッパー)を紹介してもらう。
その後、約一ヶ月そのバッパーにお世話になったのでした。

その当時の英語力?
自分の気持ちを伝えられない。
バスの予約もできない程度でした。


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